2024年(令和6年)2月21日、DHK理美容協同組合(花島理事長)では、2024年2月のゼミとして、ライトドライヤー社長 マッキー吟先生を仕事で出張中のインドネシア・ジャカルタよりリモートでお迎えし、「ライトドライヤ-創業から、現在の理美容器具の拘り」について講演して頂いた。
花島理事長も、同じくジャカルタに滞在しており、花島理事長は所用により出席ができない為、司会者より挨拶が行われ、早速インドネシア・ジャカルタへつないだ。
ライトドライヤ-は、マッキ-吟先生のお父様が始めた会社で、前身は戦時中に石鹸を作って売る事が最初であり、終戦を迎え文房具をつくり、絵具を作ったりして来たが、電気の時代が来ると言う観点からモータ-を作り、モータ-からヘアドライヤ-へと移行。
当時、米国社の下請けとして開発、1949年に国内向けに発売され、ライトドライヤ-は、日本初の国産ドライヤ-メーカ-となった。
その当時に、dhk齋藤孝名誉会長と出会い、現場意見の採り入れ、販売の協業、業務の話は「齋藤に話しろ」との事で、男性向けドライヤ-を提案し、ポマ-ドをつけるだけのスタイルから、液体整髪料をつけて自分でドライヤ-を使ってセットする、男性もオシャレをする時代へとなった。
「道具としてプロに選ばれるドライヤ-」を目指し、「腕の良い先生程道具に拘る」に特化し当時当社だけが日本製ドライヤ-であったが、倒産する事になってしまい、先代の息子さんである現在の社長、マッキ-吟先生がライトドライヤ-を復活させた。
美容業界ではなく、理容業界を選び競技用ドライヤ-を開発する事を行い、耐久性があり軽量化を図り、競技に適したドライヤ-を完成させ、現在では全国大会におけるライトドライヤ-の利用率は実に96.3%となった。
現在、ドライヤ-の仕事と、大学、大学院と授業を受け持っており、多事多端な日々をお過ごしとの事であった。
最後に質疑応答を行い、「父親を尊敬している。日本で最初のドライヤ-の会社としてまた復活させるべき気持ちで今日までやって来ました。」と締めて頂き、インドネシアからリモ-トでの協同組合ゼミは終了となった。
(通信 原田圭亮)